1936年群馬県生まれ。前橋高校ではエースとして活躍し、1955年に中日ドラゴンズへ入団。1年目は、プロ初安打を広島戦でノーヒットノーランを防ぐセーフティバントを決める。2年目は117試合出場しレギュラーを獲得して打率.262を残す。
1958年には26盗塁を残して俊足野手として名を高め、1960年には打率.312、7本塁打、50盗塁という活躍で盗塁王を獲得した。センターとして 守備範囲も広く、1963年と1965年にシーズン350刺殺のセ・リーグ記録をマーク。俊足を武器にレギュラーをもぎとり、流し打ちの技術をマスターし てからは高打率を残すようになった。1964年からアッパースイングからダウンスイングに変えて不振を脱出。1966年には打率.322、18本塁打とい う好成績を残してアベレージヒッターとしての素質も開花させた。
セーフティーバントを得意とし、1967年には王貞治、近藤和彦との打率争いでセーフティーバントを連続して成功させたことが功を奏して、打率343、10本塁打で首位 打者を獲得した。
高木守道との1・2番コンビは、中日ドラゴンズ球団史上最強とまで評されている。
1972年限りで現役を引退、翌年からドラゴンズのコーチとなる。
1978年から3年間中日の監督を務めている。1984年~1986年守備走塁コーチ。
1987年~1988年には広島東洋カープで守備走塁コーチ、1989年から1990年まで2軍監督として、前田智徳、江藤智(現西武ライオンズ)らを鍛え上げ、主力打者に育 てた。
現在は中日新聞野球評論家を務める他、2012年からは東海ラジオの解説者に就任している。
また、プロ野球マスターズリーグの名古屋80,Dsersに監督・選手として参加し、2003年から2006年まで中日ドラゴンズOB会の会長も務めた。
■通算成績
試合1,877、安打1,820、打率.277、本塁打139、打点541、盗塁347、犠打153、犠飛39
■タイトル・表彰
首位打者1回 (1967)
盗塁王1回 (1960)
ベストナイン5回 (1960、1965~1967、1970)
オールスターゲーム選出 6回 (1959、1960、1966、1967、1969、1970)
オールスターゲームMVP1回 (1959)