- 1.はじめに
- 2.内野手の構え
- a.素早いスタートのために
- b.基本的な構え
- c.構えのための練習
- 3.捕球の基本
- a.ゴロの捕球
- b.フライの捕球
- c.捕球のための練習
- 4.ステップ
- a.1ステップ
- b.2ステップ
- 3ステップ
- c.足の方向
- d.ステップ確認のためのキャッチボール
- 5.送球
- a.送球フォーム
- b.送球のための練習
- 6.捕球から送球の流れ
- a.二塁手から一塁へ(定位置より右寄り)
- b. 二塁手から一塁へ(逆シングル定位置より左寄り)
- c. 二塁手から一塁へ(ライト線寄り)
- d.二塁手から一塁へ(前進守備)
- e.二塁手から二塁へ
- f.バックトス
- g.トス
- 7.ベースカバー・バックアップ
- a.二塁手の二塁ベースカバー
- b.遊撃手の二塁ベースカバー
- c.バックアップの習慣

名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市出身。県立岐阜商業高校時代に長嶋茂雄(当時立教大学、後に読売ジャイアンツ)にコーチを受けた。1960年中日ドラゴンズに入団。同年5月7日対大洋ホエールズ戦で初打席初本塁打デビュー。1963年に二塁のレギュラー奪取。この年50盗塁を記録し盗塁王。以後1965年1973年と3度の盗塁王に輝く俊足に加えて、1969年に24本塁打するなど通算236本塁打とホームランもよく打ち、攻走守の三拍子揃った二塁手として活躍。中利夫と組んだ1.2番コンビは70年の球団史上最高といわれる。1974年にはチームの20年ぶりのリーグ優勝にリードオフマンとして大きく貢献した。華麗なバックトス・グラブトスはチームの華で、観客を魅了した。二塁手でベストナイン7度は史上最多。球団史上初の2000本安打を放ち名球会入りをはたす。
中監督が辞任した1980年限りで引退。近藤貞雄監督が就任した1981年からコーチ。1984年~1985年2軍監督。1986年一軍コーチとしてスタートするが山内一弘監督の途中休養を受け、7月5日からシーズン終了まで代理監督を務めた。星野仙一監督の辞任を受け1992年監督就任。
1994年10月8日ナゴヤ球場での中日対巨人のシーズン最終戦で勝った方が優勝という試合を指揮、プロ野球史上に残る10.8決戦を敗戦で終え、翌1995年も指揮を執るがシーズン途中で辞任。中日監督時には1992年は結果的に最下位に沈むも、ペナントレース後半に上位をことごとく叩き、最終的に60勝70敗。1993年後半に首位ヤクルトを猛追して2位。1994年も後半に首位巨人を猛追して10.8決戦に持ち込んだ。リーグ優勝は現役選手としては巨人のV9時代も重なってか1974年の1度だけで、この優勝は巨人のV10を阻んだ優勝であるということはよく知られている。また、コーチとしても1982年に1度経験しており、通算で2度リーグ優勝を経験している。
現在、中日新聞、中部日本放送(CBC)の野球解説。
2006年、野球殿堂入りをはたす。








