愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市出身。県立岐阜商業高校時代に長嶋茂雄(当時立教大学、後に読売ジャイアンツ)にコーチを受けた。1960年中日ドラゴンズに入団。同年5月7日対大洋ホエールズ戦で初打席初本塁打デビュー。1963年に二塁のレギュラー奪取。この年50盗塁を記録し盗塁王。以後1965年1973年と3度の盗塁王に輝く俊足に加えて、1969年に24本塁打するなど通算236本塁打とホームランもよく打ち、攻走守の三拍子揃った二塁手として活躍。中利夫と組んだ1・2番コンビは70年の球団史上最高といわれる。1974年にはチームの20年ぶりのリーグ優勝にリードオフマンとして大きく貢献した。華麗なバックトス・グラブトスはチームの華で、観客を魅了した。二塁手でベストナイン7度は史上最多。球団史上初の2,000本安打を放ち名球会入りをはたす。
中監督が辞任した1980年限りで引退。近藤貞雄監督が就任した1981年からコーチ。1984年~1985年2軍監督。1986年一軍コーチとしてスタートするが山内一弘監督の途中休養を受け、7月5日からシーズン終了まで代理監督を務めた。星野仙一監督の辞任を受け1992年監督就任。
1994年10月8日ナゴヤ球場での中日対巨人のシーズン最終戦で勝った方が優勝という試合を指揮、プロ野球史上に残る10.8決戦を敗戦で終え、翌1995年も指揮を執るがシーズン途中で辞任。中日監督時には1992年は結果的に最下位に沈むも、ペナントレース後半に上位をことごとく叩き、最終的に60勝70敗。1993年後半に首位ヤクルトを猛追して2位。1994年も後半に首位巨人を猛追して10.8決戦に持ち込んだ。リーグ優勝は現役選手としては巨人のV9時代も重なってか1974年の1度だけで、この優勝は巨人のV10を阻んだ優勝であるということはよく知られている。また、コーチとしても1982年に1度経験しており、通算で2度リーグ優勝を経験している。
1996年、CBC野球解説者・中日新聞野球評論家となる。
2006年、野球殿堂入りをはたし、2007年からは中利夫氏に代わり、中日OB会会長を務める。
2012年、落合監督の後任として監督に就任。2013年迄の2シーズン監督を務める。
WEB野球教室にて多大なるご尽力を賜りました高木守道さんは、2020年1月17日ご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
■通算成績
試合2,282、安打2,274、打率.272、本塁打236、打点813、盗塁369、犠打200、犠飛53
■タイトル・表彰
盗塁王3回 (1963,1965,1973)
ベストナイン7回 (二塁手1963~1967,1974,1977)
ダイヤモンドグラブ賞3回 (二塁手 1974,1977,1979)
日本シリーズ敢闘賞1回 (1974)
オールスターゲーム選出 4回 (1966,1967,1973,1979)
野球殿堂入り (競技者表彰2006)