1954年7月、千葉県生まれ。1973年千葉県の成東高校からドラフト1位で、中日ドラゴンズに入団。
2年目の1974年に4勝を挙げると、1975年には快速球を武器に67試合に登板し、9勝8敗21セーブを記録してセーブ王となった。1976年には7勝8敗26セーブ、32セーブポイントで2年連続セーブ王になるとともに、この年から創設された最優秀救援にも輝く。さらに148回1/3を投げて、防御率2.98を残したことで最優秀防御率のタイトルをも手にした。
1977年には18勝9敗9セーブ、23セーブポイントで3年連続セーブ王に輝くと共に、2年連続最優秀救援に輝いている。
1978年も10勝3敗9セーブの成績を残したが、右肘を痛め、翌年はわずか1勝9セーブに終わった。その後、技巧派への転身を図り、さらに1982年からは先発投手として投げ続けた。その1982年には9勝7敗の成績を残し、中日のリーグ優勝に貢献している。
そして、1984年、16勝8敗の成績を残して6年ぶりの2桁勝利を記録し、カムバック賞に選ばれる。
晩年の1988年には4勝を挙げてリーグ優勝に貢献している。
1989年、3勝に終わり、この年限りで現役を引退。美しく流れるようなフォームを持ち、若い頃は150キロを超える快速球で抑えとして活躍し、ベテランになってからは 技巧派の先発投手として活躍した。通算100勝100セーブポイントを達成している。
現役引退後は、1990年~1994年フジテレビ・東海テレビ・東海ラジオ解説者、中日スポーツ評論家、1995年~1997年中日投手コーチ、1998年~2003年フジテレビ・東海テレビ・東海ラジオ解説者と幅広く活躍し、2004年に落合博満の監督就任に伴い、中日投手コーチに就任。2005年より東海テレビ・東海ラジオ野球解説者、中日スポーツ評論家に復帰する。
2012年からは中日二軍監督として活躍中。
■タイトル・表彰
最優秀防御率1回 (1976)
最多セーブ1回 (1975)
最優秀救援2回 (1976、1977)
カムバック賞1回 (1984)
オールスターゲーム選出 7回
(1975~1978、1984、1985、1987)